上野由岐子選手と言えば、北京オリンピックで2日間3試合…413球をひとりで投げ抜きった強い精神力と肉体の持ち主です。
私も一人の子供の親として、子供には上野由岐子選手のような強さを身に着けてほしいと考え、上野由岐子選手の生い立ちについて調べてみたところご両親の教育方法に秘密が隠されていました!
これから子育てをするママとして、私も参考にさせてもらいたいわ!
今回は「上野由岐子の両親は教育熱心?幼少期の生い立ちとエピソードも!」と題し、ソフトボール選手上野由岐子さんのご両親は教育熱心だったのか、幼少期の生い立ちとエピソードについて紹介します。
上野由岐子の両親は教育熱心?家族構成と母親・父親の職業も!
上野由岐子さんは父親・母親・妹の四人家族です。
まずは、上野由岐子さんのお父さんの情報をプロフィールとしてまとめました。
上野由岐子さんのお父さん正通さんは、会社員として働きながら娘の習い事を全面的にサポートしてきました。
正通さんの子供の教育方針は「仕事より家庭が第一。子どもがやりたいことは何でもバックアップする」というものでした。
仕事よりも家庭(子供のこと)を第一に考える、優しいお父さんだったみたいです。
とっても素敵なお父さんね!
正通さんは、子供のことを第一に考えているため「ここぞ!」という時には、娘に対しても厳しく注意をする場面もあったそうです。
相手ピッチャーの球をなかなか打てないことに苛立った上野選手は思わずヘルメットをグラウンドに投げつけた。その姿を会場で目の当たりにした父・正通さんから、試合中にもかかわらず「道具に当たるとは何事か!」と一喝された。目が覚めた彼女は次の打席でホームランを放ち、チームを全国制覇へと導いた。
au
試合中に娘に喝を入れるなんて、本気で娘のことを考えていない限りなかなかできることではありません。
そして、お父さんの喝で腐ることなく目が覚め、結果を出す上野由岐子さん…。
本当に素敵な親子関係を築いているんだな、と感じました。
由岐子さん、すごい…!
また、上野家はお父さんだけではなく、上野由岐子さんのお母さんも厳しい方だったそうです。
上野京都(みやこ)さんは、元々常勤看護師として働いていましたが、由岐子さんの成長に伴い夜勤が多いことから非常勤の看護師に転向し家計を支えてきました。
お母さんの京都(みやこ)さんは、人間的にも優れた方で由岐子さんの人格形成に大きな影響を与えています。
ウチの家訓は今も自分の中に焼きついていますけど、特に母の言葉にはハッとさせられることが多いですね。“人の悪口は言わない”“人に好かれる人間になれ”という普通のことなんですけど、自分が生きるうえでの指標になっていると思います
au
当たり前のことだから難しいことってあるわよね…。
そして、その京都(みやこ)さんの教えが、表面だけではなく由岐子さんの中に浸透していることを感じられるエピソードがこちらです。
“嫌なことや人の悪口を言葉にしてしまうと、ますます嫌な気持ちになるから言わない”と、由岐子は中学生のころからよく言っていました。もともと愚痴るような子ではなかったけど、苦しいときでも親の前で弱音を吐くことはなかったです
au
立派すぎるわよぉ…。
また、お父さんとお母さんが作った上野家の家訓にも上野由岐子さんの基盤を感じることができます。
学校の勉強だけではなく、人間として大切なことを幼い頃から由岐子さんに教えていたんですね!
立派な子が育つはずだわ…!
上野由岐子の幼少期の生い立ちとエピソード!ソフトボールとの出会いは小学校3年生
上野由岐子さんは、小さい頃から活発で好奇心旺盛な子供だったそうです。
ソフトボールに出会うまでは、ピアノや水泳、書道など数々の習い事をして成長してきました。
幼いころから外を駆け回る活発な少女で、書道、ピアノ、水泳などさまざまなことに興味を抱いた。
週刊女性
今となっては上野由岐子さんの人生の基盤であるソフトボールに出会ったのは、小学校3年生の時だったそうです。
それも自分から始めたいというのではなく、同級生のお友達の誘いで始めたそうなので、人生何がきっかけになるかわからないものですね!
そして、ソフトボールに出会った小学校3年生の頃の上野由岐子さんの自立心を感じることができるエピソードを見つけました。
小3くらいのころだったと思います。体育の時間に使った紅白帽の洗濯を私に頼んだのに翌朝、洗濯されていないことに、由岐子と言った言わないで揉めたことがありました。それからは必ずやってほしいことをメモに書いてテーブルに置くようになったんです。本当は私のほうがそうするように教えなければいけなかったのに、何も言わなくても自分で考えて行動していた。そういうところは感心させられましたね
au
小3でそんなこと思いつくの!?
み…見習います…!
そして、上野由岐子さんがソフトボールに出会ってからは、家族総出でソフトボールの世界に挑んでいったようです。
「幼い頃ソフトボールに出合った。それが私の運命なんだと思います。胸にある思いは、父を捕手にして日が暮れるまで投球練習をして、世界一になるんだと心に決た日のままです」上野由岐子の言葉。#上野由岐子#ソフトボール#成美ノート
— 小松成美 (@komatsu_narumi) July 1, 2017
お父さんの正通さんとも、数えきれないぐらいキャッチボールをしてきたんでしょうね!
その積み重ねが今の上野由岐子さんを作っていますし、プロ野球選手と交流をする場面でも良い影響を与えることができているようです。
⚾ソフトボールの上野由岐子投手。
— 夢実鷹 (@yumemitaka) October 2, 2016
千賀君に『周囲に振り回されては駄目』
そう言い切るだけの存在感は凄いもの。
これからも、幼いホークスの若手選手に
御指導、お願いしたいものです。
日本代表の重責も、大変でしょうが…
活躍を期待しています❗🌈⚾
性別や活躍する場所が違うにも関わらず、臆することなく若手を指導できるのは本当に素晴らしく、なかなかできることではないと思います…!
きっと今の上野由岐子さんの姿を見て、お父さんの正通さんもお母さんの京都(みやこ)さんも誇らしい気持ちでいっぱいでしょうね!
まとめ
- 上野由岐子さんの父親は正通さん、お母さんは京都(みやこ)さん
- 人格形成に力を入れて教育をしていた
- 上野由岐子さんは幼い頃から自立心が強かった
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