日本だけではなく世界各国に店舗を構える丸亀製麺の社長、粟田貴也(あわたたかや)さん。
丸亀製麵の親会社であるトリドールホールディングス株式会社の創設者(社長)でもあります。
いったいいくらぐらいもらってるのか、気になりますよね!
調べてみたところ、粟田貴也さんの年収を特定した情報は見つかりませんでした。
しかし、様々な情報からその年収は8億円ほどと推定できます。
は…8億円??
いったいどうしてそんなにもらえるのよ!
- 粟田貴也の推定年収と内訳
- 開業当初のびっくりエピソード
粟田貴也(丸亀製麵社長)の推定年収は8億円!その内訳とは?
株式会社トリドールホールディングスの社長である粟田貴也さんの推定年収は8億円です。
その根拠として、役員報酬の金額と保有株式の配当金が挙げられます。
株式会社トリドールホールディングスが2018年に株主総会で発表した役員報酬の金額は、4名で1億4,100万円。
(参考資料:トリドールホールディングス株主宛書類)
計算式 141,000,000÷4=35,250,000
つまり、粟田貴也さんが経営する株式会社トリドールホールディングスの役員報酬金額は1人当たり3,525万円と推定できます。
もちろん、これは2018年の金額ではありますが、例年と比べるとさほど大きな変動はないと思われます。
なるほどね…。
でも、残りの7億7千万円はどこからきてるのよ?
そして、粟田貴也さんは、自社である株式会社トリドールホールディングスの株を32.31%保有していると言われています。
(参考資料:IR BANK)
この記事を書いた2020年9月13日の時点で、株式会社トリドールホールディングスの発行済株式総数は87,149,552株です。
つまり、粟田貴也さんは株式会社トリドールホールディングスの株式を約5,900万株持っていると推測できます。
株式会社トリドールホールディングスの2020年3月の配当金は1株あたり12円50銭。
(参考資料:トリドール株主還元)
これらの情報から、粟田貴也さんは保有株式の配当金だけで約7億3千万円の収入を得ているという計算になります。
計算式 58,991,532×12.5=737,394,150
初めに試算した、粟田貴也さんの役員報酬が約3,500万円。
そして、保有株式数から計算した配当金額が約7億3,000万円。
これらを合わせると7億6,500万円になり、年収は約8億円と推定できるというわけです。
8億円ってとんでもない金額ね…!
粟田さんがどうやって今の会社を作り上げたのか気になるわ!
粟田貴也(丸亀製麵社長)の生い立ちは?開業エピソードも!
粟田貴也さんが外食産業で生きていくことを決めたきっかけは、大学生時代に経験した喫茶店のアルバイト。
初めは丸亀製麵のようなうどん店ではなく、喫茶店を開業することを目標に事業を立ち上げたそうです。
自分の作った料理を食べてもらい、「おいしい」と感想を聞くことができ、お金をいただける。幼い感慨かもしれませんが、それまで経験した仕事に比べ、自分で全てを完結できる飲食業に「天職」を感じ、喫茶店の開業を目指すことを決意しました。
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喫茶店が始まりなの?
そんなイメージなかったわ~。
開業することを決めた粟田貴也さんが、まず初めにやったことが大学の中退と開業資金の調達です。
開業資金を手っ取り早く貯めるために、佐川急便のセールスドライバーとして働くことを決めた粟田貴也さん。
佐川急便のセールスドライバーは、私の友達もやっていたことがありますが、とにかく体力勝負…!
日々の疲れは赤ちょうちんの灯る居酒屋に通うことで、癒していたそうです。
佐川急便に勤務時代、仕事が終わってから赤提灯に通うようになった。そこで店主とお客様の絶妙なやり取りを見聞きした。自分もお客様との会話を楽しみながら仕事をする方が向いているのではないかと考えた。喫茶業から居酒屋業に興味の対象が移った瞬間であった。
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そして、居酒屋に通うにつれその魅力に取りつかれていき、居酒屋の開業へと方向転換していったんだそうです。
なるほど!
ここで居酒屋に方向転換したのね!
1982年に神戸市外国語大学を中退した後、1985年に焼き鳥居酒屋『トリドール三番館』を開店。
当時の粟田貴也さんは、料理は一通りできたものの経営に関しては素人。
お店の経営を軌道に乗せるために、大変な努力を重ねたそうです。
修行時代を経て、1985年に焼鳥居酒屋「トリドール三番館」を開業。しかし、当時の私は一通りの料理はできても経営は素人で、仕入れの選定や資金繰りも手探り。最も苦労したのはやはり集客で、店は閑散とし、ほどなく閉店の危機に陥りました。お客様を呼ぶ方策を次々に試し、無数の失敗の中、少しでも手ごたえがあれば突き詰める。その連続で、なんとか売上を伸ばしていきました。
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『トリドール三番館』が軌道に乗った後、粟田貴也さんは2号店・3号店と次々に店舗を増やしていきました。
そして、焼き鳥居酒屋で収益を上げることができるようになった矢先に、粟田貴也さんを襲ったのが2003年頃から東南アジアで盛んになった「鳥インフルエンザ」だったそうです。
鳥インフルエンザは世界中を巻き込む大騒動だったわよね…。
焼き鳥屋さんは大打撃だったはず…。
鳥インフルエンザが猛威を振るっていたことに危機感を感じた粟田貴也さん、次に打った手が『丸亀製麵』に経営の軸をずらすことでした。
BSE(牛海綿状脳症)問題で苦しむ焼肉業界を目の当たりにしていたこともあり、トリドールも焼鳥屋だけでの事業拡大に不安を感じていた。そこで、粟田社長は決断した 「 焼鳥業態からうどん業態に事業の軸足をシフトしよう 」 と。
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まさか『丸亀製麵』が、鳥インフルエンザの余波でできたお店だとはびっくりですよね!
私も丸亀製麵のうどんが好きで、社会人の頃は月に一度お世話になっていましたが、この情報は知りませんでした…!
ピンチをチャンスに変える精神を持ち合わせた粟田貴也さんだからこそ、思いついた手法だったんでしょうね。
本当びっくりよ!
でも、香川県出身でもないのにどうして讃岐うどんにしたのかしら?
粟田貴也(丸亀製麵社長)が讃岐うどんを選んだ理由は父親の影響?
粟田貴也さんが焼き鳥屋の次に讃岐うどん屋を展開しようと考えたのは、香川県出身のお父さんの影響でした。
丸亀製麵と言えば、本場香川県でしか味わえなかったセルフうどんのお店です。
父親が香川県の出身ということもあり、粟田社長は幼少の頃から讃岐うどんの文化に慣れ親しんで育ってきた。そういった思い入れもあり、地元加古川の方々に、リーズナブルな価格で讃岐うどんを食べていただこうと開店したのがこの店である。もちろん当初は、チェーン展開をしようとなど全く考えていなかった。
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香川県になじみのある人であれば、セルフうどん方式は当たり前だと感じるでしょうが、知らない人にとってはかなり衝撃的なシステムでしたよね。
うどん発祥の地と言われている福岡県出身の私ですが、セルフうどん方式に初めて出会ったのは丸亀製麺でした。
当時はかなり驚きましたね…。
そして、興奮のあまり天ぷらを大量にとってしまったのも懐かしい記憶ですw
粟田さんは焼き鳥屋さんで鍛えた経営の腕を、丸亀製麺にも活かしたのね!
さすがだわ…!
まとめ
- 粟田貴也の推定年収は約8億円
- 焼き鳥居酒屋から鳥インフルエンザの影響で讃岐うどん店を出店した
- お父さんは香川県出身
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